東北の岩手県花巻市へ行ってきました。
目的は宮澤賢治のゆかりの地を訪ねることでした。
特に心が動かされたのは「賢治自耕の地」と呼ばれる賢治が晩年ひとり自炊生活をしながら過ごした家の傍にあった畑でした。現在、家は岩手県立花巻農業高等学校の方に移築されて畑だけが保存の会の方々によって残されています。朝早くその場所に出かけていって2時間ほど鳥たちの声を聴きながらぼーっとして過ごしました。とても気持ちのいい時間でした。
僕の考える賢治は、世界に境界線を引かない人。それによって彼の生き方は困難に見舞われたと思います。
質、古着商を営む裕福な家に生まれた賢治は、当時の地方の困窮を極める農村の暮らしに心を痛めながら、彼らと同一化するために苛烈とも思われる試行錯誤を繰り返した一生だったと思います。
賢治ほど巨大な作家になると様々なイメージが出来上がり、その中には聖人君主のような浮世離れしたイメージも存在します。ですが賢治の作品に触れてみると、ドロドロしていたり毒気のある人間の内面の叫びが見受けられ、実に僕らと変わらない人間的な印象を感じます。賢治の過ごした畑に身を置いてみると、賢治がなぜここで過ごしていたかわかる気がしました。自分の中のドロドロした感情に向き合うしんどさを自然の中に身を置くことで和らいでいたのかも知れません。太陽が降り注ぎ、風が吹き、鳥や虫たちは本当に可愛らしく、そこには邪心のようなものは感じません。自分の中の無垢な心はもともと存在し、それを自然が見出してくれるのです。そこには善悪もなく、境界線のない自然そのものの世界です。
自分もこんな気持ちでいれたらどんなに安らかだろうと思いました。
自分の仕事も、solariにおける空間が、自分にとっても、そこに来るお客様にとっても、この賢治の畑のようにありたいなと思いました。