芸術表現と整体は、その本質が人間の探求である点において、根っこは同じなのかなと思っています。
僕の考える整体は、自分自身の内側を見つめ、自立した自分を目指すことです。
身体に触れ、奥底にある要求を、術者も受け手も一緒に感じること。
出来るだけ余計な事はせず、身体と心の声に集中する。
近代以前は、そうした整体の在り方が身近にあったようなのですが、テクノロジーの発展に伴い、人々の価値観は変わり、生活の中から徐々に姿を消していったのだと思います。
それでも、子どもの頃に怪我をした際、親から「痛いの痛いの飛んでいけ~!」と手当をされた事があるでしょう。不思議と安心し、知らぬ間に怪我は治っていたと思います。
ITやAIなどの非人間的なテクノロジーに囲まれ過ぎてしまったことで息苦しさを感じている人も多いと思います。
そんな時代になった事で、前時代の整体の在り方を人々は、心のどこかで欲しているような気がします。
昨年亡くなった坂本龍一さんは、電子テクノロジーの発展に伴って隆盛を極めましたが、晩年は自然に回帰し、自然とテクノロジーが共存する楽曲を目指しました。
時代の風にもともと敏感だった彼ですが、東日本大震災の影響は大きかったように思います。
津波を被って調律の狂ってしまったピアノとの出会いをきっかけに、人間による人間だけのために調律された反自然的なピアノの音から遠ざかり、津波を被ったことで自然に帰ろうと調律を狂わせたピアノの音に自身を重ね、向かうべき方向性を見出したようでした。
そうして制作された「async」というアルバムは、非同期という意味で、皆が一つの大きな音に合わせるのではなくて、それぞれバラバラのままの音で共存するということを試みた作品になりました。
人間が自然から遠ざかり、人間らしさを放棄していく事への危惧を彼はしていたのだろうと思います。
テクノロジーの発達はこれからも加速していくと思いますが、先人たちの残したものに触れながら、自分のやり方を探していきたいと思っています。